1993年1月1日
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明け方、遠くでコヨーテの遠吠えがきこえた。今朝は日の出前に起床。初日の出をみる。
一昨年の新年はメキシコのカッパーキャニオンで迎えた。去年は日本で。今年は南カリフォルニアの
砂漠の中だ。
新年の計
カリフォルニアに移住する事
スペイン語をマスターする事
結婚、少なくとも相手をみつける事
テントはやはり夜露で濡れている。コーヒーを飲み、8時過ぎに出発。
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June Washを遡りSandstone Canyonにぬけられるかトライする。車の通れない行き止まり地点から、
狭いWashに無理やり入ってゆく。どうもぬけられそうにない。バイクを止め、歩いて崖の上に登る。
壮大な風景。
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R78からJasper Trailを登る。マウンテンバイク3台とすれちがう。ハイカーもいる。道は車一台幅だし、
見通しもきかないのでゆっくり走る。
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Borrego Springsでビール、食料調達後、ダートを走ってFont's Pointに行く。ここは観光地らしくひとが十数人ほどいる。
景色は絶景!高台から夕陽に染まったBorrego Badlandsの侵食された地形を270度一望できる。色が微妙に違う。近くは黄土色、
少し遠くは赤茶色している。言葉がない。
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Font's PointからShort Wash、Palo Verde Washへ。S22を横切り、Palo Verde CanyonへのルートはClosed。
しかたなくS22を西へ。ダートがあるのでキャンプ地を求めて入ってゆく。ひたすら走る。広い平地にでると、
もう山際だ。道を外れて小さな丘のふもとへ。ここで野宿とする。空は一面薄曇り。なんか雨でも降りそうな。
最終日にそんなことにならぬよう祈るのみ。
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(走行:106マイル)
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1月2日
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昨夜小便に起きたら、外は満点の星空だった。日の出前起床。今朝方もコヨーテの遠吠えがきこえた。
今日でツーリングも終わりだ。
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Borrego Springsでホットドッグを食べてから、最後のダートに入る。はじめは砂地のフラット。
山には雲がかかって時雨模様。少しずつ路面に石が増えてくる。小川を何度も横切る。
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Salvador Canyonの分岐を過ぎると、もう完全に小川のなかを遡る。ここでコケてずぶぬれは嫌なので、
とにかくゆっくり行く。時雨がひどくなる。風もでてくる。最後はギャップのきつい、疲れる登りだった。
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Temeculaの街のコインランドリーで衣類を洗濯し、4時ごろフランソワ宅に帰り着く。長かったツーリングも
無事終わった。フランソワの奥さんは日系人だが、日本語は話せない。フランソワは息子のジュリアンにフランス語
で話していた。
フランスからのフランソワの友人もいた。私のとなりは、ベトナム人との混血で、フランスの
バイク雑誌に紀行を載せているジャーナリストとのこと。Baja1000で骨折したようだ。そのとなりは、
Bajaで船かなんかのセールスマンをしているとかだった。
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(走行:100マイル)
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エピローグ
かくして寒い冬のNYに戻ってきた。自分について、いろいろなことが分かったツーリングだった。
バイク、野宿に対する情熱がまだ冷めていないことが分かった。これはうれしかった。
このまま行くと、3月には日本に戻ることになる。2年半のアメリカ生活の区切りとして、じつに充実した旅だった。
またカリフォルニアを訪れることは間違いない。たとえそれが、どんなかたちになるにせよ。
(全走行距離:1805マイル、2888キロ)
1993年1月23日
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