北海道・東北ツーリング

1984年7月6日〜8月8日

東北編

7月26日

大沼―函館― (フェリー)―大間―下風呂
走行166Km
3:45東日本フェリーで大間着。バイクがたくさんいる。みんなこれから北海道へ渡るところだ。 夕食の買出しにスーパーに入る。店の前で話をしているおばさんたちの言葉がまったく分からない。 まるで外国語だ。
今日のキャンプは下風呂温泉。海岸は岩ばかりで、丘の中腹の小学校の裏庭にテントを張る。どうも落ち着かない。 共同浴場で温泉に入る。湯は硫黄くさかった。

       下北半島、大間崎にて
「ここ、本州最北端の地」の碑も、北から来たのでは感慨もいまいち。天気も悪い

7月27日

下風呂―恐山―脇野沢
走行119Km
5時に起きて出発準備していると、散歩や新聞配達の人がくる。よかった、何しろここは小学校の庭なのだから。 田名部駅で恐山へのルートを確認。R338、恐山街道と走る。
恐山への入り口、冷水峠にて

ここは霊界と俗界の境だという
ここから急な下りのワインディングを走ると視界がひらけ、左手に宇曽利湖が見える。
宇曽利湖畔にある三途の川と橋

湖のまわりの山は、中腹だけ陽がさし、頂上は霧で隠れている。変な風景だった。
湖畔に北九州ナンバーのCB750Fが一台、テントをたたんでいる。夕べは独りで怖かったそうだ。
恐山に入ると正面にある地蔵堂
地獄
賽の河原と宇曽利湖
恐山入り口
恐山の中は朝早いので人はまばら。硫黄と、線香と、供物の腐った臭いが混ざって、独特の臭気がする。 あたりは静まりかえり、カラスの鳴き声と、風車が風でいっせいに回る音しかしない。 思わず全身がゾーっとして、身の毛がよだつ。

田名部まで戻り、R338で脇野沢へ。10時着。九艘泊キャンプ場は夕日の名所のようなのだが、ガキの集団がいる。 キャンプ地まで、歩いて荷物を運ぶのも大変そうなので、ここは諦め、戻って愛宕山のキャンプ場へ。
九艘泊にて バックは津軽半島
愛宕山のキャンプ場にて

テント干したり、海で泳いだり、日光浴したり、バイクを掃除したり、とのんびりする。
夕日は天候が急変して曇りとなってダメ。今にも雨が降りそうだ。
ひらめ、イカの刺し身、ツブ、イクラなどでリッチな夕食。

7月28日

脇野沢―むつ―青森―平館―三厩―竜飛崎
走行259Km
早朝の脇野沢、愛宕山キャンプ場にて、出発前。朝霧も晴れ始める。
青森市の合浦公園にある啄木歌碑

「船に酔いてやさしくなれるいもうとの眼見ゆ津軽の海を思へば」

棟方志功記念館にもいった。
津軽半島の東岸、平館のあたりで、下北半島をのぞむ
青森から、蟹田、平館、三厩を通って竜飛崎に至る道は、狭く、くねくねとした、ガタガタの舗装路で 地の果てに行く感じだった。竜飛崎では太宰治の碑がある。小説「津軽」の一節だが、ここにも「地の果て」と 書いてある。
キャンプ場がなかなか見つからない。やっとみつけたが、狭い上に家族連れなどの団体でほとんど満杯。 灯台に登っていくと、夕日の見える丘があったので、ここにテントを張ってしまった。もうすぐ日没。 飯を炊き、カメラをセットしてビールを飲みながら待機。秋田からという自衛隊のライダー2人がきて話をする。
夕日は宇登呂や稚咲内でみたのと同じくらい美しかった。丘からは津軽海峡の向うに松前がすぐそこに見えている。
日が沈むと漁火、松前の街の灯。その後霧が出て霧笛が鳴る。ビールをもう一本飲み、ほろ酔いで霧笛を子守唄に寝る。

7月29日

竜飛崎―今別―金木―弘前―岩木山(百沢キャンプ場)
走行148Km
竜飛崎にある青函トンネルの出口の工事現場
竜飛崎灯台
旧海軍の砲台跡などもある。
十三湖。遠浅でかなり沖で人が立って漁をしていた。
太宰治の生地、金木へ。資料館や雲祥寺、斜陽館など太宰ゆかりの場所に行く。
暑い弘前市内を見物してからキャンプ地を求めて岩木山の南麓へ。貸し切り中とか、料金1200円とか、 キャンプ場探しに苦労するが、百沢から山に登っていってピクニック場のような処でロハでキャンプとなった。
久しぶりで温泉にも入る。
金木の公園にある、太宰治の碑

7月30日

岩木山―弘前―十和田湖―子の口―滝ノ沢キャンプ場
走行147Km
早起きして朝の涼しい間に弘前の寺めぐりをする。
暑くなってきたので、弘前を出て十和田湖へ。
革秀寺にて
誓願寺の山門
御鼻部山展望台からの十和田湖全景
十和田湖畔
奥入瀬渓流
奥入瀬川唯一の滝、銚子大滝
瞰湖台より中湖と中山半島
滝ノ沢キャンプ場

7月31日

滝ノ沢―寒風山―入道崎―大森山キャンプ場
走行286Km
早く起きたので日の出の写真がとれた。
和久井から発荷展望台に登る。早朝のワインディングは気持ちよかったが、展望台からの 十和田湖は残念ながら朝靄にかすんでいる。対岸の御鼻部山や八甲田の山並などは見えない。
大館を通り、能代を過ぎて男鹿半島に向かう。
滝ノ沢展望台から十和田湖の朝日
寒風山展望台にて、なまはげのスケベなオッサンと(200円也)
女の子には体をすりよせて写っていた。
入道崎灯台(50円也)
景色はもうひとつ・・・
秋田で、奈良家旧宅に寄る
市内の千秋公園はパスし、市の南部の大森山キャンプ場へ。

8月1日

大森山―角館―田沢湖―田沢湖高原キャンプ場
走行122Km
6時過ぎに出発して角館へ。R46に出るころには朝霧も晴れてきた。角館は晴れ。市内を観光する。
こんな家にもやはり人は住んでいる
この地方の武家屋敷独特の玄関
古びた旅館
武家屋敷地区の入り口
街の北側、古城山展望台より、角館の街並
木々の多いのは武家屋敷の庭に残してあるため
角館からワインディングをちょっと走るとすぐ田沢湖。辰子姫の像の前でコーヒーを沸かす。 芸大の教授の作だそうだが、いまいちイメージが合わない。結局写真も撮らなかった。
田沢湖高原に行って、森の中の国民休暇村のキャンプ場に泊まる。山なので水が冷たくうまい。
食後、大釜温泉へ。暗く、不気味な山道をひとりバイクで登っていくと、石造りで、建物は古い木造の ひなびた温泉だった。若干硫黄のにおいがする。露天風呂から星空と三日月がみえた。
田沢湖神社にて

8月2日

田沢湖高原―田沢湖―渋民―盛岡―花巻―豊沢ダムキャンプ場
走行190Km
早起きして渋民へ。石川啄木めぐりをする。
早朝、田沢湖高原展望台にて
代用教員時代の寄宿先
渋民小学校
内部には啄木の歌が数多く掲げてある
北上川の岸にある有名な碑
背景は岩手山

「やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに」
「神無月岩手の山の初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ」
岩山展望台、啄木と節子の自筆の歌碑

「汽車の窓はるかに北に故郷の山見えくれば襟を正すも」
「光り淡くこほろぎ啼きし夕より秋の入り来とこの胸抱きぬ」
岩手山と盛岡市街と北上川
啄木の故郷、渋民村でのんびりとよい時間を過ごし、R4を戻り盛岡へ。岩山展望台に登る。 人気の少ない展望台から盛岡の街を見下ろし、岩手山や、北上川の写真を撮っていると、 「ちょっといいですか」という声とともに田中が現れる。予想外の再会。渋民村で買った一皿百円のトマトを かじりながらお互いの消息を話す。
話し込んで2時過ぎとなったので、渋民に行く田中と花巻で待ち合わせる。
盛岡市内でも天満宮など啄木の歌碑めぐりをした。
田中と偶然の再会の記念写真
盛岡城跡にある有名な歌碑

「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」

城跡は、まわりをビルに囲まれ、人通りも多かったが、なぜか心を落ち着かせた。
市内にある啄木新婚の家の啄木夫婦の四畳半

人のいいおばあさんがいて、茶など出してくれ、しばらく話をする。きのう田中も寄ったそうで、 友達だというとびっくりしていた。

もっと居たかったが、花巻に行くので、おばあさんに別れを告げ出発。待ち合わせ場所の宮沢賢治記念館で 10分ほど待つと田中が来た。鉛温泉の奥のキャンプ場に行くと、予約無しなのでダメとのこと。ちょっと下ると 看板もないキャンプ場があった。人はだれもいない。刺し身の盛り合わせでリッチな夕食。

8月3日

豊沢ダム―高村山荘―宮沢賢治記念館―遠野(荒川高原)
走行116Km
朝、カレーを食べて9時過ぎ出発。今日は田中といっしょだ。
まず、高村山荘に行く。記念館で高村光太郎について勉強。 なかなかの人物だ。晩年の7年間をここで独居自炊、晴耕雨読の生活をおくったそうだ。
次は花巻文化会館で宮沢賢治の常設展をみる。賢治の生涯についてもここで勉強。賢治もすごい人物だ。
賢治記念館で、光太郎と賢治に親交があったことを知る。
太宰治、棟方志功、石川啄木、高村光太郎、宮沢賢治、と東北文学散歩は充実したものとなってきている。 あとは、芭蕉、茂吉。これらを訪ねるにはあと一週間、それ以上・・・

4:30、花巻を出て遠野へ。案内所でキャンプ場を見つけ、そこに向かうが、かなり遠い。 夜のダートでフロントを轍に取られて大転倒。右肩と背中が痛い。結局牧場の管理小屋のようなのの近くで野宿。 骨を折らなかっただけ、よしとしよう。
豊沢ダムキャンプ場にて
高村光太郎の自画像
花巻文化会館前の「風の又三郎」の彫刻

8月4日

荒川高原―遠野―碁石海岸キャンプ場
走行109Km
朝、ダートを下って遠野へ。昨日コケたのでどうしてもスピードが出ない。田中はかなり先に行ってしまった。
R340を下り、地図をたよりに遠野の名所を回る。
遠野の水車小屋
山崎のコンセサマ
男根そのものだが、なかなかユーモラス
早池峰山と、早池峰神社
昼食後、愛宕神社でコーヒー。土浦ナンバーのGLも来る。これから北海道だそうだ。 田中は松島まで行くのでここで別れる。無事に研究室で会おう。

3時過ぎに遠野を出て、山中をひたすら南下。山間の道は久しぶりでよい。 碁石海岸キャンプ場に着くと週末ですごい人。面倒なので、道のそばにテント。 浜松からのCXカスタムとXVの2人と話す。やはりこれから北海道だそうだ。
愛宕神社より、遠野市街

8月5日

碁石海岸―高田松原―中尊寺―尿前の関跡―羽黒山キャンプ場
走行269Km
週末のキャンプ場は夜も朝もうるさい。一刻もはやく逃れるべく、碁石海岸も見ずに出発。 R45から高田松原により、あとはひたすら走って、気仙沼を通り中尊寺着。
朝の高田松原、水墨画のような風景

「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと握れば指のあいだより落つ」
の啄木歌碑がある
中尊寺
芭蕉、西行などの歌碑がある
金色堂は入館料500円也
中尊寺より、最上川
尿前の関跡、芭蕉の足跡をたどる

8月6日

羽黒山―象潟―酒田―湯殿山―茂吉記念館―西蔵王高原
走行285Km
羽黒山キャンプ場
シーズンなのでやはりうるさい
朝靄にかすむ最上川
象潟の水田風景
蚶満寺は人も少なく静かで気持ちよい
酒田の日和山灯台
田麦俣の多層民家
湯殿山
御神体は赤茶けた湯を出す大きな岩、裸足になって御払いを受けてから参拝
山形市内を通り上山で斉藤茂吉記念館を見て、西蔵王高原のキャンプ場を目指すが、道も悪く、分かりにくく、挙句に公園 があるだけで、キャンプ場なし。民家で水をもらって野宿。近くの夜釣りの人が車で展望台まで夜景を見に連れて行って くれた。RZ250に乗っているそうだ。かすんでいたが、夜景も久しぶり。

8月7日

西蔵王高原―立石寺―仙台―松島―野蒜海岸(奥松島)
走行152Km
朝の西蔵王高原
立石寺
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句碑

だが、団体客でそれどころではない。
「気をつけよう観光バスと団体旅行」
立石寺の1015段の石段を登ると、流石に下界の眺望がいい。

七夕祭りで混雑する仙台の東北大近辺で、コインランドリーを探すが見つからない。 これで3日目だ。東北の都市にはコインランドリーがないのか!
      松島の瑞巌寺

平日だというのにすごい人、渋滞。もううんざり。
大高森展望台より、松島夕景

今日もキャンプ場にあぶれて、海水浴場の片隅で野宿。洗濯も出来ないので、 Tシャツ3枚を水で洗う。

8月8日

野蒜海岸―福島―小山―古河―武蔵野
走行410Km
朝、テントをたたんでいて限界に達した。今日は裏磐梯あたりでキャンプする予定だったが、 人は多くてうるさいだろうし、湖も見飽きたし、いっきに東京まで。仙台でR4に乗って、ひたすら走る。 暑さでボーっとしてきたが、事故らなかったのは恐山のお守りのおかげか?
3:42、武蔵野の親戚の家に到着。

エピローグ

1ヶ月間のツーリング中、民宿には1泊しただけで、あとはすべてキャンプ、野宿という生活だった。
前半、北海道でのキャンプ生活。夕暮れに飲むビール、刺し身などをおかずにしての夕食、食後のコーヒー。 陽が昇れば起きて走り出し、気が向けばコーヒーを沸かしてのんびりと風景を楽しむ。2度目の北海道 ツーリングだったが、やはり北海道はキャンプでまわるところだ。来年はさらに道東のみに絞って、学生生活最後の夏を 過ごしたい。
後半の東北では青森県がよかった。津軽・下北の両半島からは都会のにおいは感じられず、南下するにしたがって東京と いう大都会を感じざるを得なかったのに較べ、すばらしいものだった。
1ヶ月間6000キロを伴に走ったGN400は、今車検切れで研究室の片隅にじっとしている。いつか、こいつを 復活させ、また北の大地を走りたい。

東北編 完




戻る